2016年5月25日水曜日

22 大涅槃経  金光明経2

2017/06/08、2016/07/11(調整) 2016/06/19(公開)

22  大涅槃経 


引用    大涅槃経に云く「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして外道の説に非ず」等云云


書簡    開目抄上  108


先ず、「大涅槃経」 がどの経を指すのか、 日蓮聖人はこの他に「涅槃経にいわく」という引用を数多く書いていますが、この「大涅槃経」とその涅槃経とは別の様ですので、涅槃経の方は別項を立てます。

今回の「大涅槃経に云く「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして外道の説に非ず」」の文は

摩訶止觀 (1911) 46.0077a29:ページの 「大經云一切世間外道經書皆是佛説非外道説」 の文に基づくものであって、経文には見当たりません。

止觀は大經云と書いていますが、日蓮聖人は「大涅槃経に云く」としてそれを引用しています。

日蓮聖人の「大経いわく」は、大般涅槃經を指している事は、シリーズ17の「大経」の項に書きましたが、ここでは「大般涅槃經」に存在しない言葉を天台智顗が止觀に書いています。

同様の事例は、次の金光明経の引用にも見られますが、智顗の捏造か、それとも智顗も経文を確かめずに、誰かに教わった、または経疏のままを書いているか、そのどちらかです。


全ての外道の説も、仏説だと釈迦は云うでしょうか。 

ならば外道を区別する必要はない訳で、何故このような文章が支那にはあるのか、
やはり魔道に犯された支那仏教の実例と思わざるを得ません。

とにかく、細かく調べれば、同様の例がたくさん出て來るので、いやになります。



金光明経


引用    天台云く「金光明経に云く 一切世間所有の善論皆此の経に因る、若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」等云云、


書簡    開目抄上 109

元文は これも止観で、 46.0077b01ページの 「 佛説。非外道説。光明云。一切世間所有善論。皆因此經。若深識世法即是佛法」 です。



天台は「光明云」と書いていますが、開目抄上では、"天台云く「金光明経に云く一切世間所有の善論皆此の経に因る、若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」等云云、と、しています。

これも前述の「外道の設も仏説」との内容を 別の言い廻しで「世法は仏法」だ と言っています。

諸法の実相は全て仏法=自然法に依って構築された成果物ですから、上記の意は間違いとは言いません。
しかし 「金光明経にいわく」と書いた以上は その文が金光明経に存在しなければ嘘になります。

天台は「光明云」と書き、それを日蓮聖人が金光明経と書いたのは間違い無い筈ですが、金光明経にはこの言葉は存在しないのです。

よく経疏を観ると、天台智顗は経に存在する言葉と、そうでない言葉を、光明と金光明とに使い分けているようです。

光明云は止観に二か所有ります。いずれも金光明経にはない言葉の引用であり、玄義・文句・止観とも、金光明経に実在する言葉の引用の時は 「金光明云」 としています。

元の経文をチェックしなければ判らない事ですので、智顗はそういった仕掛けを楽しんでいるようにも見えます。 





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